大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和34年(ワ)9866号 判決 1963年10月29日

原告 牛島定

被告 国 外一名

訴訟代理人 武藤英一 外二名

主文

原告の請求は、いずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、(当事者双方の申立)

原告訴訟代理人は、「被告らは各自、原告に対して金一四三万〇、二三〇円也およびこれに対する昭和三四年一二月二六日より完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、被告石井麻佐雄および被告国指定代理人は、「原告の請求を棄却する訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

第二、(原告の請求原因)

(一)  原告は千葉弁護士会所属の弁護士である。被告石井は昭和三二年一一月頃まで判事として千葉地方裁判所刑事合議部の裁判長であつたが、退任して現在は東京弁護士会所属の弁護士である。

(二)  いわゆる「養老事件」(または「養老村子守り殺し事件」とは、訴外伊東勝外二名を被告人とする傷害致死、死体遺棄被告事件をいうのであるが、この事件は千葉県警察本部の特別捜査本部で捜査されたのち、昭和二九年一〇月八日、千葉地方裁判所に起訴せられ、同裁判所刑事合議部で同年一一月二二日の第一回公判から昭和三一年四月一六日の第一八回公判まで審理せられ、同年六月二九日に有罪の判決が言い渡され、即日右被告人らより控訴の申立をなし、同事件は東京高等裁判所に係属するに至つたものである。

しかして右事件につき被告石井は、第一審千葉地方裁判所の裁判長としてその審理裁判を担当し、原告は第一審以来終始主任弁護人として右被告人らの弁護に当つた。

(三)  養老事件の公判においては、右被告人ら三名は警察における自供をひるがえし、強く無実を主張し、弁護人側も、右被告人らの警察における自白調書は、深夜にまで及ぶ苛酷な取調、その他脅迫、誘導等により作成されたもので、任意性を欠き証拠能力がない旨を強調し、その結果被告人らの取調に当つた警察官四名が証人として喚問されたが、弁護人側の反対尋問により熾烈な追究を受ける場面などがあつたうえ、右事件の被害者の死因自体についても法医学上自殺他殺の区別すら明らかでない等の事情もあつて、同事件の成り行きについては、所轄捜査当局である千葉県警察本部はじめ関係新聞筋、その他ひろく県下一般の注目を集めていたものである。

(四)  ところで右事件につき、第二審である東京高等裁判所第五刑事部は、昭和三一年一二月一日および二日の両日にわたり、現地において多数の証人尋問および現場検証をなす旨決定したが、その証拠調の前日である一一月三〇日、同日付の毎日新聞千葉版に、右養老事件に関して、「高裁近く現地で証人尋問」の大見出しを付した上、「裁判長取調官と取引き」等の中見出しおよび「裁判の威信にかかる」「牛島主任弁護士談」等の小見出しを付した別紙記載の記事が掲載された。

(五)  しかるところ被告石井は、前記毎日新聞の記事中「牛島主任弁護士談」の記載部分等をとらえ、昭和三一年一二月一九日、千葉地方検察庁検事正に対し、「原告の右談話は(養老事件の)第一審判決直前、裁判長たる被告石井が、拷問をした取調官たちと会合したという虚構の事実を基礎とするもので、裁判長であつた被告石井の名誉を毀損したものである」という理由で原告を告訴した。

(六)しかして千葉地方検察庁は右告訴に基いて捜査をしたのち昭和三二年八月一七日、同検察庁検察官検事平井太郎の名をもつて、千葉地方裁判所に対し、原告を名誉毀損罪で起訴した。その公訴事実の要旨は、「被告人(原告)は、養老事件の判決言渡直前、一審の裁判長であつた石井麻佐雄が右事件の取調警察官と会合した事実ならびにいわゆる判決を取引した事実の有無につき確証がないにもかかわらず、毎日新聞千葉支局記者道村博および毎日新聞地方版編集主任川越満義らと順次犯意を共通し、昭和三一年一一月三〇日付毎日新聞千葉版に、前掲請求原因(四)記載のような見出しを掲げた上、養老事件の被告人伊東勝本人の控訴趣意書の内容を紹介し右控訴趣意書の記載として『判決のあつた一週間ほど前、どういう意味か県警本部捜査課(本件を実際に担当して私たちを無理な取調をした篠塚、鈴木警部補が勤務している)が主催で、判決をした石井裁判長との会合がもたれ、その席上捜査課長と思われる人が石井裁判長に対し本事件の審理内容について質問があつたということだ。--裁判長が取調官に対し事件の内容を取引した疑がある』等の敍述を引用掲載したうえ、その末尾に『牛島主任弁護士談』として『この事件は全くのえん罪である。第一審判決直前裁判長が拷問をやつた取調官たちと会合している、どんな話をしたかわからないが実に問題だ。このことは日本の裁判の威信のためにもはつきりさせたい。高裁の審理とは別に時期を見て訴追委員会に提訴したいと思つている。」と記載し、読者をして恰も裁判長石井麻佐雄が前記伊東勝の控訴趣意書の記事に符合する会合等をなし、裁判の威信を傷つけ、訴追委員会に提訴するに足る非行をなしたものと印象づける如き虚構の事実を掲載し、千葉県下の不特定多数の読者に配布し、公然石井麻佐雄の名誉を毀損した。」という趣旨に帰着する。

(七)  原告に対する右名誉毀損被告事件は、そのご刑事訴訟法第一七条により東京地方裁判所に管轄移転がなされ、同裁判所刑事第一二部において昭和三三年三月六日から三四年二月一四日まで一七回に亘る公判期日を開き、毎回殆んど時間一杯の終日審理がなされた結果、同年三月三一日の第一八回公判で無罪の判決が言い渡され、右無罪判決は同年四月一四日に確定した。

(八)  ところで後述するとおり(後記(九)参照)、そもそも前記新聞記事はなんら原告の意思に基いて掲載されたものではなく、しかも右記事の内容中主要な部分については真実の証明が存するのであり、したがつて右いずれの点からするも本来原告については、右記事による名誉毀損罪は成立すべきいわれのないものである。

しかして被告石井および前記検察官平井太郎においては、それぞれ前記告訴および起訴をなすに当り、いずれも前記の如く本件新聞記事がなんら原告の意思に基いて掲載されたものでないという事実ないし右記事の内容中主要な部分については真実の証明が存するという事実を、当然に知悉しまたは少くとも右事実を容易に知り得べき関係にあつたものである。それ故同人らのなした前記各訴および起訴はいずれもその故意または重大な過失によつて、法律上なんら犯罪の嫌疑のない原告に対してなした違法のものであり、これにより原告が精神上、物質上多大の損害を受けたことはもちろんであるから、右告訴および起訴はいずれも原告に対する不法行為であるというべきである。

(九)  以下(一)本件新聞記事は原告の意思に基くものでないという点並びに、(2) 右記事の内容中主要な部分については真実の証明があるという点につき、順次記述すれば次のとおりである。

(1)(本件新聞記事は原告の意思に基くものでないという点について)

本件告訴および公訴の対象となつた前記毎日新聞の記事は、同新聞社千葉支局の記者訴外道村博が独自の立場で取材のうえ作成し、同新聞社編輯部が見出しを付して掲載したものであつて、なんら原告の意思に基いて取材ないし掲載されたものではない。尤も原告は前記新聞記事の出た日の一両日前である昭和三一年一一月二八、九日頃右道村記者から電話をもつて前記養老事件の被告人伊東勝本人の控訴趣意書中に書かれてあるような千葉県警察本部捜査課と石井裁判長(被告石井)らとの会合について右事実の有無等に関し質問を受けた際、「右会合のあつた事実は相違ない」旨答え、さらに電話で意見を聴かれた際、「裁判官がそういう所へ出るのはおかしい。……非常に大きな問題だ」等の受け答えをしたことはあるが、それはすべて道村記者からの電話に対し、単に受動的に応答したものにすぎず、原告は右応答が新聞に掲載されるものと予想して話したものではなく、まして積極的に同記者に対し、新聞に掲載させる意思で事実を告げ、または取材を慫慂したような事実は、さらにない。なお前掲記事中にある「判決直前」とか、「取調官と取引き」というが如き話は全然しなかつた。前記新聞記事の基礎になつた伊東勝本人の控訴趣意書も同記者自身が、どこからか直接入手したものであり、原告がこれを同記者に交付した事実はなく、原告は右控訴趣意書の内容の作成にも関与していない。元来毎日新聞のような公正を旨とする大新聞においては、記者は独自の立場で記事の取材、作成をなし、さらにデスクおよび本社編集部の取捨選択等の検討並びに編集の過程を経て、はじめて掲載記事となるのであつて、部外者たる一個人が自己の意思によつて特定記事の作成掲載をなさしめ得るような余地はあるべき筈がない。要するに本件新聞記事の掲載はなんら原告の意思に基くものでないことはもちろんであり、このことは、被告石井および前記検察官平井太郎においても、当然知悉しまたは少くとも容易に知り得べきものであつたことは明白である。

(2)(本件新聞記事は主要な部分について真実の証明があるという点について)

次に前記新聞記事の内容は、公務員たる裁判官石井麻佐雄に関する事実であるところ、右記事中眼目ともいうべき主要な部分は、養老事件の判決前、同事件に関し裁判長たる石井麻佐雄が同事件の捜査に当つた取調官たちと会合した事実があるという点であるが、右の如き会合のなされた事実については、真実の証明が存し、したがつて右記事については名誉毀損罪は成立しないのである(刑法第二三〇条の二第三項参照)。このことは原告を名誉毀損罪の被告人とする前記東京地裁刑事部の無罪判決でも判示されたところであるが、右会合は昭和三一年二月二四日、千葉市内「さざなみ荘」(これは警察関係者の会合、宿泊等に利用される警察の寮である)において行われたものである。右会合は千葉県警察本部捜査課の主催により「裁判所警察連絡研究会」の名のもとに開催されたものであるが、次に述べるとおり、その列席者の顔触れ、会合の議題および開催時期等から見て、それが養老事件に関係のある会合であることは、右会合の議事録等(甲第一六号証の四、同第一七号証等)に照らし歴然たるものがある。すなわち、

(イ) 右会合には裁判所側からは被告石井および養老事件公判の陪席裁判官である鈴木照隆判事並びに右公判に立ち会つた大野正光、伊藤文雄の両書記官ほか一名が、警察側からは県警察本部刑事部長鈴木兼吉、捜査第一課長小山田正義、鑑識課次席酒井貞治、捜査第一課指導係長鈴木四郎ほか刑事部各課課長および次席が出席したのである。しかして右のうち鈴木兼吉はさきに養老事件の捜査本部長の地位にあつた者であり、また小山田正義は同事件につき直接取調に当つた篠塚一治、鈴木美夫両警部補の直接の上司であり、その他警察側からの列席者はすべて養老事件の捜査およびその審理判決に多大の関心を抱かざるを得ない立場にあつた者である。

(ロ) 右会合における議題は、「(1) 警察官の令状請求について、(2) 公判上から見た警察捜査の欠陥について(調書等の作成、状況証拠の整理について)、(3) 警察官の証人出廷について、(4) その他」となつており、一般刑事事件に共通した事項も取り扱われているが、他面前記議事録等によれば、明らかに養老事件に関するものと推察し得る問題が数多く話題となつており、被告石井は右の席上において抽象的な言葉を借り、実際上は暗に具体的な養老事件について語つている。

(ハ) 次に前記会合のなされた時期(昭和三一年二月二四日)について考えるに、当時養老事件の審理の経過は、これより前の昭和三〇年一〇月一七日の第一一回公判、同年一一月三〇日の第一二回公判および昭和三一年一月二三日の第一三回公判において右事件の重要争点たる被告人らの自白調書の任意性の有無につき、前記鈴木美夫、篠塚一治ら関係警察官四名が証人として喚問され、その際牛島弁護人から反対尋問により鈍く追究を受けた事情があり、同事件の審理は右第一三回公判で一段落を告げ同年二月一一日の第一五回公判においては、裁判長から被告人ら三人に対する質問が行われたのであつた。以上の如き養老事件の公判の経緯と対照してみれば、前記会合のなされた同年二月二四日は、右事件における裁判官の心証形成上最も重要な時期に当ることは極めて明白である。

しかして右会合においては、議事終了後引き続き同所において懇談に移り、警察側の準備した酒食を共にしながら懇談を交わした上、散会したのであるが、厳正公平たるべき裁判官が、かかる時期にかかる会合を行つたことは甚だ遺憾というべきであり、要するに右さざなみ荘における会合が、前記新聞記事に掲載された会合に当ることは明白である。尤も、前記新聞記事においては右会合が「判決直前」に行われた旨記載されておりこの点実際なされた会合の時期とは多少のズレがあるが、しかし前記(ハ)に記載したとおり、実際に右会合のなされた昭和三一年二月二四日は、裁判官の心証形成上最も重大な時期であつてむしろ裁判官の合議終了後の「判決直前」の会合よりも一層悪いといえるわけである。要は前記の如き内容の会合がなされたかどうかが問題なのであつて、それが「判決直前」であつたかどうかは、なんら重要な問題ではない。

されば前記新聞記事のうち、養老事件の判決前、同事件に関し裁判長たる石井麻佐雄が同事件の捜査に当つた取調官たちと会合したという最も重要な部分については真実の証明が存するのであり、しかも被告石井および検察官平井太郎は前記告訴および起訴の当時、この関係を当然知悉していた筈である。もし仮りに同人らがさざなみ荘の会合は前記新聞記事の会合とは無関係であるなどと考え、右記事の真実であることに気付かなかつたとすれば重大な過失であるといわなければならない。

(一〇)  原告は右の如き違法な告訴および起訴により、次のような損害を受けた。

(1)(物質的損害)金四三万〇、二三〇円

その内訳は次のとおりである。

(イ) 弁護人費用 金二三万円

弁護人青柳盛雄、同森長英三郎、同村井右馬之丞、同

柴田睦夫、同黒田寿男らに対し、着手金一七万円および成功報酬六万円を支払つた。

(ロ) 記録謄写料 金一三万三、二二〇円

東京地方裁判所内近藤謄写館(金一〇二、七二〇円)、窪谷中(金一万六、一四〇円)、鈴木まつ江(金一万二、三六〇円)に謄写料を阿佐ケ谷タイプ社(金二、〇〇〇円)にタイプ印書料を支払つた。

(ハ) 被告人としての出廷交通費 金一万二、二四〇円

原告は被告人として東京地方裁判所に出頭するため東京、千葉間の往復の交通費(一回につき六八〇円)、合計一八回分を支出した。(なお原告は足が不自由で付添人を必要とするが、付添人の交通費は加算していない)

(ニ)同上日当 金一万二、六〇〇円

原告は弁護士であるから、被告人として一八回法廷に出頭したことによる損害は、少くとも、訴訟法上鑑定人に支給される日当一日金七〇〇円と同一の割合による補償が認められるべきである。

(ホ) 弁護人らに対する弁当代 金三万〇、三七〇円

前後一八回の公判および途中打合せのため要した弁護人らの昼、夜食代を東京弁護士会内食堂に支払つた。

(ヘ) 弁論準備打合せ費用 金一万一、八〇〇円

検察官論告ののち、弁護人の弁論準備打合せ会の費用を支出した。

(2)(精神的損害)金一〇〇万円

原告は本件告訴ならびに起訴の結果、筆舌に尽し難い精神的苦痛を受けた。これに対する慰謝料は金一〇〇万円をもつて相当と老える。

(二) 以上の原告の損害は、右の告訴ないし起訴によつて通常生ずべき損害であるから、被告石井は民法第七〇九条により、また被告国は国家賠償法第一条により各自原告に対しこれを賠償すべき義務がある。

よつて原告は被告らに対し、各自金一四三万〇、二三〇円およびこれに対する本件訴状送達の日の翌日である昭和三四年一二月二六日から完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

第三、(被告石井の答弁および主張)

(一)  原告主張の請求原因中(一)、(二)および(四)ないし(七)記載の事実はすべて認める。

同(八)および(九)については、昭和三一年二月二四日、千葉市内の「さざなみ荘」において千葉県警察本部主催の裁判所警察連絡研究会なる会合が開かれ、被告石井を含む原告主張の職員らが出席した事実および原告主張の東京地裁刑事部の判決において原告主張の如き判示がなされていることは認めるが、その余の事実はすべて争う。本件記事は原告の意思に基いたものであり、かつその記事内容は真実ではない。

同(一〇)、(二)の事実はすべて争う。

(二)  本件新聞記事は、原告の意思に基いたものであり、仮にそうでないとしても被告石井が、かく信じたことに過失はない。

すなわち被告石井は本件告訴前、先ず右記事の取材と執筆に当つた毎日新聞千葉支局記者道村博に面接し、右記事執筆までの経過を確かめた。これに対して同記者は「原告が自分(道村記者)に対して、"分は伊東勝本人の控訴趣意書の内容や原告の談話等を半ば信じて右記事を書いた」旨明言した。しかして被告石井は右道村記者とは従前からの知合いであり又毎日新聞という大新聞の記者が自己の単なる想像による談話記事を書く筈もないので、右道村の回答を信じ、かつまたかねて原告は新聞紙等文書の力をかりて他人を傷つける性癖を持つていると聞き及んでいたこと等を考え合わせた結果、前記毎日新聞記事中、原告の談話記事はもとより、その他伊藤勝の控訴趣意書中被告石井に関する部分の記事もこれが掲載されるに至つたのはすべて原告が発頭人であり、原動力となつたもので(被告人伊東勝の控訴趣意書作成に、弁護人である原告が全く関与しないということはありえない。)、道村記者にことさら虚偽の事実を告げてこれが記事の掲載を慫慂したもの(従つて、新聞記事による名誉毀損罪の教唆犯とみられる)と思料し他面、本件記事により単に被告石井のみならず、千葉地方裁判所にかけられた疑惑を告訴によつて払拭すべきであると忠告する者もあつたので考慮の上、告訴に踏み切つたものである。

(三)  本件記事中その主要な部分である原告の談話記事の内容は虚構の事実に基くものであつて真実ではない。

すなわち本件毎日新聞記事中、原告の談話記事は一般読者をして、養老事件の裁判長である被告石井が、判決直前秘かに取調官と会合して判決内容につき取引または取引的言辞を弄したかのような印象を与え著しく被告石井の名誉を害するものであるが、被告石井は、判決の直前(一、二週間前)、取調官と会合したこともなく、またいついかなる時においても、取調官と取引したことも、取引したと疑われるような言動をしたこともなく、原告の右談話記事の内容はすべて虚構の事実である。

原告主張の昭和三一年二月二四日の「さざなみ荘」における会合は、右新聞記事にいう会合とは無関係のものである。右会合には養老事件の被疑者らを直接取調べた警察官は一人も出席していなかつたし、それが開催された時期は判決言渡(同年六月二九日)より四カ月も前のことであり、なんら「判決直前」の会合ではない。

しかして右会合の席上における質疑応答の内容はすべて一般的抽象的に、捜査の適正化、公判審理の円滑化等のために述べられたものであつて、養老事件に言及した事実はなく、まして被告石井が暗に同事件の判決内容について警察官に内通したものと疑われるような言辞を弄した事実は毛頭ない。

元来右会合は千葉県警側の要望により、千葉地方裁判所長の決裁を経て、その命のもとに、被告石井他四名の裁判所側職員が出席した公式の会合であり、原告の談話記事から受ける印象のような私的、秘密裡の会合ではない。(因みに、戦後裁判官と警察官とは令状や少年事件関係で職務上直接の接触があることになつており、裁判官も直接警察官の指導啓蒙に努めているのであつて、千葉県警本部と裁判所との会合は右のさざなみ荘における会合が初めてではなく、少年事件関係では毎年一回、一般刑事事件関係でも過去何回か行われ、啓蒙的効果を挙げている)。要するにさざなみ荘における会合は前記毎日新聞記事に掲載されたような会合とは形式的にも実質的にも全然関係がない。原告が両者を同一のものであると独断し、ひいて本件新聞記事の眼目ともいうべき会合が行われたことについて真実性の証明があると主張するのは全く非常識も甚だしいというの外はない。

(四)  なお告訴は元来犯罪の嫌疑に基いて行われるものであるから告訴人が当該事実を絶対に真実であると信じていることは必ずしも必要ではなく、告訴人がことによると告訴の事実が間違つているかも知れないという未必的な認識を抱くことは、告訴に正常的に伴う事態として当然是認されるのである。この点からも被告石井の本件告訴はなんら違法といえないことが明らかである。

(五)  以上述べたとおり被告石井のなした本件告訴は正当であつてなんら違法のかどはなく、仮りに違法であつたとしても、同被告には原告主張の如き故意過失がないから、被告石井のなした本件告訴が不法行為となるいわれがない。

第四、(被告国の答弁および主張)

(一)  原告の請求原因に対する被告国の認否は、前掲被告石井の答弁(一)の記載と同様である。

(二)  本件新聞記事は原告の意思に基いたものであり、仮りにそうでないとしても、当該検察官平井太郎が、かく信じたことに過失はない。

すなわち千葉地方検察庁検察官平井太郎は、被告石井からの告訴に基き後記のような捜査を行つた。しかして証拠によると原告は右記事のニュースソースと認められる伊東勝本人の控訴趣意書の作成に関与しており、かつその写しを道村記者に交付したものと推認され、同記者の質問に対して、右趣意書に記載されている会合の事実は、裁判官の直系事務官から聞いたから間違いないと虚構の事実を申し向け、よつて同記者をして問題の記事を掲載させたものであるという事実を認めることができるのである。

同検事は昭和三二年一月三〇日順から捜査を開始し先ず(イ)

問題の新聞記事の内容はもちろん、そのニュースソースと認められる養老事件の被告人らの各控訴趣意書謄本を検討し、(ロ)石井裁判官と警察との会合の経緯内容等については、関係警察職員裁判所職員を取り調べ、昭和三一年二月二四日のさざなみ荘における裁判所警察連絡研究会の関係記録を検討し、(ハ)伊東勝本人の控訴趣意書の作成から本件新聞記事掲載に至るまでの経緯、特にこれに関する原告の関与の状況等について、伊東勝の控訴趣意書原本を検討し、新聞関係者および養老事件関係者を取り調べ、原告に対しても在宅のまま二回にわたつて取調べを行い、その他諸般の事情について詳細な捜査を行つたのであり、右捜査の結果、証拠上、原告が右記事の掲載につき共犯として関与している嫌疑が十分となつたので、原告ら在宅のまま起訴したのであり、右検事の判断ないし措置に違法のかどはなくもとより故意過失もない。

(三)  本件起訴の対象となつた記事の主要部分は虚構の事実に基くものであつて真実ではない。

すなわち右新聞記事には、「石井裁判長が第一審判決直前に拷問をした取調官たちと会合している。」「右会合において、養老事件につき、石井裁判長がこの事件は仕方がないが、これからは取調時間を記載するよう内通した」「右会合において石井裁判長が取調官と事件の内容を取引した疑がある」(傍点は被告国の付したもの)等の記載があり、これらの記載はそのあとに掲載されている「牛島主任弁護士」の記載と相まつて一般読者をして石井裁判長が養老事件の判決直前に、取調官と事件の内容を取引した疑のある私的会合をもつた、と印象づけるような記事になつている。しかしながら石井裁判長が判決直前(又は一週間位前)に、拷問をした取調官と私的に会合したような事実は全然なかつたのである。尤も石井裁判官を含む千葉地方裁判所職員が、警察側職員と昭和三一年二月二四日に千葉市内さざなみ荘において会合した事実はあるが、養老事件の判決言渡のあつたのは同年六月二九日であるから、右会合は「判決直前」になされたものではないのみならず、それは千葉県警における司法警察職員の教養訓練を担当する刑事部捜査一課の指導係において企画され、公式手続をふんで裁判所側からの出席を要請し、開催された裁判所警察連絡研究会なる会合である。右会合の目的は一般捜査運営の適正化と、司法警察職員の教養訓練資料を作成することにあつたもので、養老事件等審理中の具体的事件にふれる質疑応答は一切なされておらず、同裁判官が取調官と事件の内容を取引したような疑は全く存しない。またこの研究会に出席していた警察側職員は、刑事部長以下各部各課の課長、次席ら九名の幹部であり、養老事件の被告人らを直接取り調べた警察官(篠塚一治、鈴木美夫両警部補)は列席していない。

要するに本件新聞記事の右摘示事実は虚構であつて、なんら原告主張の如き真実の証明は存しない。

(四)  以上のとおりであるから、前記毎日新聞記事は重要な点において真実に反し、むしろ悪意をもつて前記さざなみ荘における会合の事実を歪曲ないし誇張し、石井裁判官を誹謗しようとしたものであつて、これに加担した原告の行為をもつて、名誉毀損罪を構成する(刑法第二三〇条の二、第三項ももちろん適用される余地がない)とみることも一つの立派な見解たるを失わない。その見地に立つて担当検察官が原告を起訴したことは何ら違法ではなく、仮に違法であるとしても、担当警察官になんら故意過失はなかつたものである。

第五、(証拠関係)

一、原告代理人は甲第一、二号証、第三号証の一ないし四、第四ないし第七号証、第八、九号証の各一、二、第一〇ないし第一五号証、第一六号証の一ないし四、第一七、一八号証、第一九号証の一、二、第二〇ないし第二七号証、第二八号証の一ないし四、第二九号証、第三〇、三一号証の各一、二、第三二号証の一ないし五、第三三号証の一ないし一八、第三四号証の一ないし二二、第三五号証、第三六、三七号証の各一、二、第三八ないし第四二号証を提出し、証人金坂富士男の証言および原告本人尋問の結果を援用し、

乙第三号証の二および同第七号証の成立は不知、その余の乙号各証の成立は認める、丙号各証の成立はすべて認める、と述べた。

二、被告石井は乙第一、二号証、第三号証の一、二、第四ないし第一九号証を提出し、証人稲葉竹三郎の証言および被告石井麻佐雄本人尋問の結果を援用し、甲第一八号証(原本の存在も)、同第二八号証の三、四、同第二九号証、同第三〇、三一号証の各一、二、同第三二号証の一ないし五、同第三三号証の一ないし一八同第三四号証の一ない二二、同第三五号証、同第三六号証の二、同第四一号証の成立は不知、その余の甲号各証の成立は認める、と述べた。

三、被告国代理人は丙第一ないし第二五号証を提出し、甲第一八号証の原本の存在は認めるがその成立は不知、同第二九号証、同第三二号証の一ないし五、同第三三号証の一ないし一八、同第四三号証の一ないし二二、同第三五号証、同第三六号証の二、同第四一号証の成立はいずれも不知、その余の甲号各証の成立は認める、と述べた。

理由

第一(争のない事実)

原告は千葉弁護士会所属の弁護士であり、被告石井は昭和三二年一一月頃まで判事として千葉地方裁判所刑事合議部の裁判長であつたが、退官して現在は東京弁護士会所属の弁護士であることさきに千葉地方裁判所刑事合議部において、原告主張の如き被告人伊東勝外二名に対する傷害致死、死体遺棄被告事件(いわゆる「養老事件」または「養老村子守り殺し事件」)の審理裁判がなされ、被告石井は右事件の第一審の裁判長としてその審理裁判を担当し、原告は第一審以来終始その主任弁護人として右被告人らの弁護に当つたこと、同事件については、昭和三一年六月二九日第一審の有罪判決が言い渡され、即日被告人らから東京高等裁判所に控訴し、次いで同高等裁判所第五刑事部は、同年一二月一日および二日の両日にわたり現地において多数の証人尋門および現場検証をなす旨決定したこと、右高等裁判所の証拠調の前日である一一月三〇日、同日付の毎日新聞千葉版に同事件の報道として別紙記載の如き記事(その末尾に近い部分に「牛島主任弁護士談」なる記載がある)が掲載されたこと、被告石井は同年一二月一九日千葉地方検察庁検事正に対し右新聞記事が被告石井の名誉を毀損するものであるとして原告を告訴し、次いで昭和三二年八月一七日同検察庁検察官検事平井太郎は、右告訴に基き、千葉地方裁判所に対し、原告主張の如き公訴事実により原告を名誉棄損罪で起訴したこと、右事件は刑訴第一七条により東京地方裁判所に管轄移転がなされ、その結果、同裁判所刑事第一二部は、原告主張の如き審理を経たのち、昭和三四年三月三一日「前記新聞記事は、その主要な部分について刑法第二三〇条の二第三項のいわゆる事実の証明がなされたから名誉毀損罪は成立しない」旨判示し原告に対し無罪の判決を言い渡し、右判決は同年四月一四日に確定したこと、

以上の事実は当事者間に争がない。

第二(本件新聞記事の内容と名誉侵害の有無について)

当事者間に争のない別紙記載の本件新聞記事の内容と成立に争のない乙第一号証および甲第一二号証によれば、

右記事は、毎日新聞千葉版の最上段に、白地地紋七倍活字で「高裁近く現地で証人尋問」と横書の大標題を掲げ、その下に「養老の子守り殺し事件」(三倍活字)の副題を設け、さらに縦に六段抜きで「弁護人側デッチ上げを主張」(六倍活字)、「一審は一家謀殺で有罪」という標題を付し、先ず前書きの記事として、「養老の子守殺し事件について千葉地裁で行われた第一審判決は裁判長が判決直前、警察取調官と事件の内容を取引した疑いがある。しかも事件は警察官の拷問によつてねつ造されたもので他に例をみないえん罪である。という弁護人側の控訴趣意書にもとずき、東京高裁第五刑事部では、……現場の検証を行うとともに、取調警察官七名を含む二十二名の証人尋問を行うことになつた。」と記載していること、次いで右事件の内容、経過、第一審判決の要旨および弁護人の控訴趣意書を紹介し、次に中見出し三段抜きで「裁判長取調官と取引」(「裁判長」の部分は三倍ゴチック活字「取調官と取引」の部分は四倍ゴチック活字)と題したうえ、前記伊東勝本人の控訴趣意書にある「……四月三〇日結審となり二ヵ月延びて六月二十九日に判決となつた。判決のあつた一週間程前どういう意味か県警本部捜査課(本件を実際に担当した私たちを無理な取調べをして篠塚、鈴木警部補が勤務している)が主催で、判決をした石井裁判長との会合がもたれ、……(中略……裁判長が取調官に対し事件の内容を取引した疑いがある」との記載を引用紹介し、右記事に引き続き、「責められウソ自供」「勝ら訴う昼夜ぶつ通し取調べ」なる見出しの下に勝の控訴趣意書の記載内容を紹介していること、さらにその次に「事件について話さない」という四倍活字の見出しの下に、「石井麻佐雄裁判長談」等の記事があり、末尾に近い部分に「裁判の威信にかかる」という小見出しの下に「牛島主任弁護士談」として、「この事件は全くのえん罪である。第一審判決直前裁判長が拷問をやつた取調官たちと会合している。どんな話をしたかわからないが、実に問題だ。このことは日本の裁判の威信のためにもはつきりさせたい。高裁の審理とは別に時期を見て訴追委員会に提訴したいと思つたいる。」と記載していることが明らかである。

しかして、右の如き記載のある前記乙第一号証を見れば、右新聞記事中、「牛島主任弁護士談」の記事内容は、他の部分(殊に冒頭の前書き部分並びに「裁判長取調官と取引」の見出しを付して勝の控訴趣意書を引用記載した部分)と相まつて、一般読者に対し、恰かも養老事件の裁判長であつた石井裁判官(被告石井)には、結審後判決の言渡が延び有罪無罪の微妙な問題があつた同事件に関し、かねて被告人らが拷問を受けたと主張している取調官たちと判決直前に会合し、同事件の内容について談合取引をしたという不正行為の疑がある、という印象を与えることは明白であり、右「牛島主任弁護士談」の記事は、事実を摘示して、当時裁判官の地位にあつた被告石井の名誉を侵害したものと認むべきことは当然である。

第三(原告に対しなされた本件告訴および起訴と不法行為の成否)

原告の本件訴旨は要するに、「(イ)前記新聞記事はなんら原告の意思に基いて作成掲載されたものではなく、かつ(ロ)同右記事の内容中、主要な部分については真実の証明が存する。それ故、右いずれの点からしても、原告については右記事による名誉毀損罪は成立の余地がない。しかるに、被告石井および前記検察官平井太郎は、いずれも右(イ)(ロ)記載の事実(したがつて原告にはなんら名誉毀損罪の成立しないこと)を知悉し、または容易に知り得べき関係にあつたのに拘らず、あえて本件告訴および起訴をなしたものであり、したがつて右告訴および起訴はそれぞれ同人らの故意または重大な過失に基く不法行為に外ならない」というのである。(前掲請求原因(八)参照)。

ところで当裁判所は、本件に顕われたすべての証拠を仔細に検討した結果、仮りに原告主張の右(イ)、(ロ)の事実がその通り是認されると仮定しても、本件においては、未だ被告石井および前記検察官平井太郎に、原告主張の如き故意または過失があつたものと認めるに十分でなく、したがつてかかる故意過失があつたことを前提として本件告訴および起訴が不法行為であるという原告の主張は結局採用に由ない、という結論に到達した。右故意過失の存否に関する判断は次のとおりである。

其の一、(本件新聞記事の作成掲載が原告の意思に基くものであるかどうかの点に関する被告側の故意過失の存否について)

(一)  先ず被告石井の関係について見るに、

(1)  成立に争のない甲第三号証の一、二、三、同第七号証、乙第一二、第一三、第一六、第一七、第一九号証および被告石井本人尋問の結果によれば、次の事実が認められる。

すなわち、被告石井は本件毎日新聞の記事が掲載された日の翌日、右記事を執筆した同新聞社千葉支局記者道村博を千葉地方裁判所に招き、同記者に対し、右記事に記載されたような「石井裁判長が判決直前、取調官と会合云々」というニュースについて、その出所並びにこれを真実と信じて右記事を書いたかどうかにつき質問を試みた。これに対同記者より、「自分は養老事件被告人伊東勝の控訴趣意書を入手したので、これを記事にしようと思い、牛島弁護士(原告)に聞き記事にし。た右記事にあるような会合の事実については、牛島弁護士は『石井裁判官の直系事務官二名から聞いたのだから間違いない』旨確言したので、自分は右記事のような会合および取引のあつた事実を半ば真実と信じて書いた」旨の返答を得たこと、被告石井は、かねて道村記者と面識もあり、右記事が道村記者の単なる想像だけに基く記事とも思えなかつたので、右二ュースが専ら原告から出たものであり、むしろ原告が道村記者に右記事を書かせるよう仕向けたものであると信ずるに至つたこと、その後、被告石井に対し、別段、原告から右記事は原告の意思に基くものでないというような釈明ないし訂正の申出はなかつたこと、(尤も被告石井が原告に対し本件告訴をなしたのち、同被告に対し、弁護士会の長老から示談の申入があつたが、同被告は応じなかつた)、被告石井は、事態をこの侭放任しておけば恰かも自己が右記事を真実として承認したものの如く世間に誤解されるおそれがあると考え、自己と懇意な同裁判所の二 三の若い裁判官にも相談したところ 断然告訴するのが相当だという勧告もあり結局、原告を名誉毀損罪で告訴するに至つたものであること、

以上の事実が認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

(2)  しかして、(イ)前段認定にかかる右事実のほか、(ロ)さきに説示した本件新聞記事の内容(殊に右記事中、前書きの「……裁判長が判決直前、警察取調官と事件の内容を取引した疑いがある。……。という弁護人側の控訴趣意書に基き……」とある部分、就中、右部分に「弁護人側の」とある字句に注意)、並びに、(ハ)本件弁論の全趣旨によれば、(殊に原告提出にかかる甲号証中、名誉毀損被告事件の公判調書参照)、原告を被告人とする前記名誉毀損被告事件においては、前後一七回の公判を通じ、毎回殆んど時間一杯の審理がなされ、時には一人の証人に対する尋問が一日で終らず次回に続行される等、訴訟関係者特に裁判所および弁護人らの長時間に亘る非常な努力と究明がなされた末、無罪の判決が言い渡されたものであつて、右審理の状況から見るも原告主張のように原告の無罪たるべきことが当初から、しかく簡単明瞭なものでなかつた事実が認められること、

を総合して考察すれば被告石井は前記告訴をなすに当り、本件記事は原告の意思に基き掲載されたものと信じていたことが明らかであり、かつ被告石井がかく信じたことについては、未だ過失があつたものと認めるに十分でない。

尤も、毎日新聞の如き大新聞にあつては、広告記事は別とし、他の一般記事は当該新聞社および記者の独自の立場と判断に基き取材、作成され、さらに編輯部等の検討を経て、はじめて新聞に掲載されるわけであつて、部外者である一個人がその恣意に基き随意、記事を掲載させるようなことのできないことは原告主張のとおりであるけれども、他面、本件記事の如き一般読者の注意と関心を惹くような情報については、これを新聞記者に通報すれば、それが記事として掲載される可能性が多分に存することは事理の当然である。されば前記説示の如き本件事実関係の下においては、たとえ一般に新聞社における記事作成の経緯が原告主張のとおりであるにもせよ、未だこれをもつて被告石井に原告主張の如き故意または過失があつたものと断ずるに足りない。

(二)  次に前記検察官平井太郎の関係については、

(1)  成立に争のない丙第二、第三号証によれば、原告は本件告訴に基き、千葉地方検察庁において、在宅のまま二回に亘り取調を受けており、その際原告は、「自分は単に道村記者から電話で質問を受けたのに対し応答したにすぎず、自分の談話内容が新聞にのるとは思わなかつた」旨供述し、要するに本件新聞記事が自己の意思に基くものでない旨弁明していたことが明白であるが、

(2)  他方検察官が本件起訴前蒐集した証拠によれば次の事実を認めることができる。すなわち、

(イ)  成立に争のない丙第一六号証によれば、右道村記者は、昭和三二年四月一二日千葉地方検察庁において取調を受けた際「われわれ記者は取材する場合、相手に対し、一々記事にするという念は押していないが、相手は当然記事にのることは承知している筈である。(本件新聞記事に関しても)、もし牛島弁護士が例の会合について、それはハッキリしないぞとでも言つてくれたならば当然一一月三〇日付の記事とは違つた別のかたちをとつて居り、場台によつては裁判官取調官と取引の見出しに関連する記事はのせなかつた」旨供述していることが認められること、

(ロ)  成立に争のない丙第一九、第二〇号証、同第二二ないし第二五号証(いずれも起訴前検察官の取り調べた証拠)によれば、道村記者は本件新聞記事が掲載された日の二日前である昭和三一年一一月二八日午後六時半頃、牛島弁護士(原告)宅に赴き約二時間余り同人方に居た事実が認められ、また右丙第一九号証によれば、同日夕刻道村記者が後輩の見習記者吉野正弘に対し、「大きなスクープをやるんだ」と語つた事実のあることが認められること、

(ハ)  成立に争のない甲第三号証の四によれば、道村記者は、本件新聞記事の基本となつた養老事件被告人伊東勝本人の控訴趣意書を誰から入手したかについては固く供述を拒否したが、同記者がこれを原告から入手したという嫌疑も相当理由があつたと認められること、

以上の事実が認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

(3)  しかして右認定の事実と、被告石井に関する前記(一)の(2) 記載の判示部分(殊に、前記(一)の(2) の(ハ)記載の如き原告を被告人とする名誉毀損被告事件の審理状況)を総合すれば、前記検察官平井太郎は、本件起訴をなすに当り、本件記事が原告の意思に基くものであると信じていたことが明らかであり、かつ右検察官がかく信じたことについては、未だ過失があつたものと断定するに足りない。

其の二、(本件新聞記事中、主要な部分について真実の証明が存するかどうかの点に関する被告ら側の故意過失の有無について)

(一)  本件告訴および起訴の対象たる前記新聞記事は、公務員たる裁判官石井麻佐雄の職務に関する事実であるから、もしその主要な部分について真実の証明が存するときは、右記事については名誉毀損罪の成立する余地のないことは刑法第二三〇条の二第三項の規定に照らし明白である。

しかして原告は、「石井裁判長(被告石井)らは、養老事件の判決前たる昭和三一年二月二四日、千葉市内の警察寮さざなみ荘において、同事件に関係のある警察官らと会合し、養老事件につき話し合つた事実があり、右会合こそまさに本件新聞記事にいう『石井裁判長と取調官との会合』に該当するものであつて、結局本件新聞記事の『牛島弁護士談』なるものは真実の証明があり、罪とならないものである」と主張する。

ところで、被告石井が右昭和三一年二月二四日千葉県警察本部刑事部の主催により「さざなみ荘」で開催された「裁判所警察連絡研究会」なる会合に出席したことは、当事者間に争がなく、成立に争のない甲第九号証の二、同第一一号証、同第一六号証の四、同第一七号証、同第一九号証の一、二、同第二〇号証、弁論の全趣旨により成立を認め得る甲第一八、号証、被告国との関係においては成立に争がなく、被告石井との関係においては弁論の全趣旨により成立を認め得る甲第二八号証の三、並びに原告牛島本人尋問の結果により成立を認め得る甲第二九号証および右本人尋問の結果によれば、次の事実が認められる。すなわち

(イ)  養老事件においては、被告人らの自白調書と情況証拠以外には、見るべき証拠がなく、その公判では、被告人らは警察における自供をひるがえし強く無実を主張し、弁護人側も右被告人らの警察における自白調書は深夜にまで及ぶ苛酷な取調、その他脅迫誘導等により作成されたもので任意性がない旨を強調し、その結果、昭和三〇年一〇月一七日の第一一回公判、同年一一月三〇日の第一二回公判、昭和三一年一月二二日の第一三回公判においては、さきに被告人らを取り調べた鈴木美夫、篠塚一治ら関係警察官四名が証人として喚問され、牛島弁護人からその取調状況につき反対尋問で鋭く追究された事情があり、前記さざなみ荘における会合当時は、右証人尋問のあつた時から多く時日を経過しておらず、かつ同事件はなお第一審において審理中であつたこと、

(ロ)  前記会合には、警察側から右鈴木、篠塚両警察官の直接の上司たる県警察本部刑事部捜査第一課長小山田正義、同課次席田丸良太郎、同課指導係鈴木四郎らも出席したこと、

(ハ)  右会合においては、被告石井は、他の出席裁判官と共に、警察側の質問に応じ、一般的な問題として種々意見を述べたが、同被告の発言中には、「最近はことにそのような(強力犯関係事件のような)死刑になるような重要なものは大抵被疑者が否認するので自白調書には余り重きをおけないし、あてにならないので殆んどが情況証拠によつてやつている」

「近頃よく非難されるのは、しばしばおそくまで調べられ……自白したとかいうのが多くなつてきた……法廷でも結局は水掛論になつてしまうが、何か(取調をした時間の)記録をとつておけば話が簡単にすむと思う」

「(誘導尋問については)余り問題にしていない」

等の趣旨のものがあり、その他養老事件に関しても当てはまると認め得るような事項が抽象的一般的な問題の形で話題の一部になつていること、

以上の事実が認められるのであつて、右事実と右認定の資料に供した証拠とを対照して考察するときは、右認定の如き被告石井の若干の発言内容には、同被告の意思如何に拘らず、聞き手の側において、恰かもこれをもつて養老事件に対する石井裁判官(被告石井)の心境の発露であるかの如く受け取るおそれのあるものも絶無であつたものとはいい難く、これら若干の発言内容は、厳正公平たるべき裁判官として、その時期および場所等の関係上、慎重を欠いた憾みのあることは否定し難いところというべきである。

(二)  しかし他方、

(1)  成立に争のない甲第六、第七号証、同第八号証の一、二、同第九号証の一、同第一六号証の一、二 同第一七号証、弁論の全趣旨により成立を認め得る甲第一八号証、成立に争のない甲第一九号証の一 乙第三号証の一、弁論の全趣旨により成立を認め得る乙第三号証の二、成立に争のない同第四、第五、第六号証、同第一四ないし第一九号証、並びに証人稲葉竹三郎の証言および被告石井本人尋問の結果によれは次の事実が認められる。すなわち

(イ)  右さざなみ荘における会合は千葉県警察本部刑事部が昭和三一年度における事業計画の一つとして企画したもので、その目的は新刑事訴訟法下における捜査のあり方に関し、裁判所側からの批判と教示を受け、その結果を県下一般の警察官の教育資料に供する趣旨に出たものであり、他面被告石井を含む裁判所側からの出席者については、その人選および出席は千葉地方裁判所所長の決裁を経て公式に決定されたものであつて、それはなんら秘密の私的会合ではなく、また具体的な養老事件について語り合うようなことは全然その目的とされていなかつたものであること、

(ロ)  被告石井は、右会合の席上、「今やつている事件を話すと差支えるから」と予め言明し、現在係属中の具体的事件には言及し得ない旨をことわつているのであり、前記(一)(ハ)記載の発言もあくまで一般的、抽象的問題として自己の持説を述べた趣旨に外ならないのであつて、それが具体的な養老事件に対する意見として受け取られるが如きことは全く同被告の本意ではなかつたこと、

以上のとおり認めることができる。

(2)  そればかりでなく、本件新聞記事には問題の会合がなされた時期を「判決直前」と記載している。(詳言すれば、右記事においては、さきに判示したとおり、養老事件の判決が、結審後言渡延期となつていたところ、石井裁判長が「判決直前」に取調官たちと会合取引し、その直後、被告人有罪の判決言渡がなされた旨記載されているのであつて、右記事の全趣旨と成立に争のない乙第一五号証を対照すれば、右会合の時期が「判決直前」であつたかどうかは、右記事の相当重要な要素であると解し得る余地が必ずしも絶無とはいえないのである)。ところが、前記さざなみ荘の会合が行われたのは、養老事件の判決言渡の日(昭和三一年六月二九日)より四ヵ月以上も前のことであつて、これを「判決直前」の会合といい得ないことは当然である。それ故、「判決直前」に石井裁判長が取調官たちと会合したという前記新聞記事は少くともこの点において真実に符合しないものと解される余地も絶無とはいえない。

(3)  しかして(イ)右(1) および(2) に判示した諸事実と、(ロ)さきにも説示したとおり原告を被告人とする名誉毀損被告事件においては、前後一七回に亘る公判を通じ毎回殆ど時間一杯の審理がなされ時には一人の証人に対する尋問が二日間に亘る等、裁判所及び弁護人らを初め、訴訟関係者らの長時間に亘る非常な努力と究明がなされたのち無罪の判決がなされた事実(もし原告の無罪が当初から明白であつたならば、右事件の審理には、かかる多大の努力殊に弁護人の努力》と日子を必要としなかつた筈である)とを彼此対照して考察すれば、本件告訴および起訴に当つては、被告石井および前記検察官平井太郎は、本件新聞記事中主要な部分が虚構の事実であると信じていたことはもちろんであり、かつ本件に顕われたすべての資料を対照してみても、同人らがかく信じたことについては、未だ過失があつたものと認めるに十分でない。

第三、(結論)

上来説示のとおり、被告石井および前記検察官においては、本件告訴および起訴につき原告主張の如き故意過失があつた事実は認め難いから、右故意過失の存することを前提とする原告の本訴請求は、他の争点につき判断するまでもなく、採用に由ないものである。よつて訴訟費用につき民訴第八九条を適用し主文のとおり判決する。

(裁判官 土井王明 岡田辰雄 荒井史男)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例